心を見つめる [高齢ハハのつぶやき]
先日来、またも不調に悩まされ、藁にもすがる思いで買ってしまった江原啓之さんのCD付書籍「いのちの詩」。
朗読と歌。
そして文章。
「内観」という言葉にひかれて購入しました。
自分の心の内を見極めることはともすればつらい作業です。
でも、それなしには悩みは解決しません。
すべての答えは相手にではなく自分の心の中にあるんですから。
私が一番つらかった時この言葉を送ってくれた方がいました。
その時からずっと心にあった「内観」という言葉。
一つの道しるべを見つけた感じです。
そして同じ時期、以前父に対するトラウマの件でヒーリングをしてくださった方にやはり助けていただきました。
今回の不調はやはり私の感情の鬱積が自分の気の流れをせき止めてしまって未病の状態になっているとのこと。
自分の心の中の感情を吐き出す方法を伝授していただきました。
自分の中の怒りや不満や絶望、情熱や感謝などのキーワードをポジティブな感情の文章に置き換えてそれを言葉にして声に出して魂に聞かせること。
かなり難しいですが、何回かやっているうちに少しコツがつかめたようです。
そして、今日父の病院に行く日。
朝から絶不調。
吐き気はするし、食欲はないし、眠気は常にあるし…。
出かける前、横になった状態で教えてもらったリラックス法をやっていた時、突然「やっぱり父が嫌いなんだ」ト気付いてしまいました。
前回のヒーリングで父という人間の80年の歴史を知ることで自分が持っている父のイメージはそれが父のすべてではないということを教えてくれました。
それにより父に対する恐怖心はなくなりました。
でも、そのこととと好き嫌いは別なのだと今更気付いたのです。
どんなに人間的にいい人でも好きになれない人がいるように、父の生い立ちから現在まで私の知らない父のつらさや大変さを知り育ててくれたことに対する感謝を持つことと好きになる愛するという事は別物なのだということにやっと気付いたのです。
親子の情は確かにあります。
嬉しそうな顔を見ると嬉しいし、寂しげな顔を見れば悲しいし。
でも、好きか嫌いかと聞かれたら 迷わず「嫌い!!」と答えます。
他人だったらきっと近づきもしないでしょうね。
その感情はたぶん父が死ぬまで変わらないと思います。
死んでからはわからないけど。
親を嫌う自分を自分で許せなかったんです。
この世に誕生させてくれて育ててくれたことに感謝する気持ちがあるなら嫌いなんて思ってはいけないと思い込んでました。
でも、親として感謝することと、人間として好きになれない、嫌ってしまうことは相反することではないんですね。
嫌い でも突き放すなんてできない。
見捨てるなんてできない。
義務じゃなく家族の情として自分にできる限りの事はする。
だからと言って自分の父が嫌い、苦手だという感情も封印しなくてもいいんだと思う。
そう思ったら気が軽くなりました。
相手を受け入れる前に自分の感情を受けいれてあげなければ無理です。
朗読と歌。
そして文章。
「内観」という言葉にひかれて購入しました。
自分の心の内を見極めることはともすればつらい作業です。
でも、それなしには悩みは解決しません。
すべての答えは相手にではなく自分の心の中にあるんですから。
私が一番つらかった時この言葉を送ってくれた方がいました。
その時からずっと心にあった「内観」という言葉。
一つの道しるべを見つけた感じです。
そして同じ時期、以前父に対するトラウマの件でヒーリングをしてくださった方にやはり助けていただきました。
今回の不調はやはり私の感情の鬱積が自分の気の流れをせき止めてしまって未病の状態になっているとのこと。
自分の心の中の感情を吐き出す方法を伝授していただきました。
自分の中の怒りや不満や絶望、情熱や感謝などのキーワードをポジティブな感情の文章に置き換えてそれを言葉にして声に出して魂に聞かせること。
かなり難しいですが、何回かやっているうちに少しコツがつかめたようです。
そして、今日父の病院に行く日。
朝から絶不調。
吐き気はするし、食欲はないし、眠気は常にあるし…。
出かける前、横になった状態で教えてもらったリラックス法をやっていた時、突然「やっぱり父が嫌いなんだ」ト気付いてしまいました。
前回のヒーリングで父という人間の80年の歴史を知ることで自分が持っている父のイメージはそれが父のすべてではないということを教えてくれました。
それにより父に対する恐怖心はなくなりました。
でも、そのこととと好き嫌いは別なのだと今更気付いたのです。
どんなに人間的にいい人でも好きになれない人がいるように、父の生い立ちから現在まで私の知らない父のつらさや大変さを知り育ててくれたことに対する感謝を持つことと好きになる愛するという事は別物なのだということにやっと気付いたのです。
親子の情は確かにあります。
嬉しそうな顔を見ると嬉しいし、寂しげな顔を見れば悲しいし。
でも、好きか嫌いかと聞かれたら 迷わず「嫌い!!」と答えます。
他人だったらきっと近づきもしないでしょうね。
その感情はたぶん父が死ぬまで変わらないと思います。
死んでからはわからないけど。
親を嫌う自分を自分で許せなかったんです。
この世に誕生させてくれて育ててくれたことに感謝する気持ちがあるなら嫌いなんて思ってはいけないと思い込んでました。
でも、親として感謝することと、人間として好きになれない、嫌ってしまうことは相反することではないんですね。
嫌い でも突き放すなんてできない。
見捨てるなんてできない。
義務じゃなく家族の情として自分にできる限りの事はする。
だからと言って自分の父が嫌い、苦手だという感情も封印しなくてもいいんだと思う。
そう思ったら気が軽くなりました。
相手を受け入れる前に自分の感情を受けいれてあげなければ無理です。
こんばんは。
応援のナイスを。
(生意気でごめんなさい)
(2009-03-16)
辛かった自分を自分で認めて抱しめてあげて下さい。
どうしようもない自分です。
だからこそ、誰が認めなくても、自分くらいは、抱しめてないといけない。
私は、そう思っています。
そうやって自分を許せると、人を許せる一歩を踏み出せるような気がするからです。
>今、幼い孫に昔の分を取り戻すかのように目じりを下げる父
私は、とても羨ましいと思いましたよ。(^^)
お父様のこと。
好きにならなくても許せることで楽になれれば良いと思いました。
---------------------------------
苦しめているのは、
過去の記憶よりも、許すことが出来ない自分の心
では、ないでしょうか。
(あまり、頭で考えない方が良いです。苦しくなります)
聖人君子になる必要ありません。
馬が合わない。虫が好かない。
馬や虫のせいなら仕方ない。ですよね。
それが、智慧なのかも知れません。
馬や虫にさえ勝てない(笑)のだから、
聖人君子にはなれません。なる必要ないと思います。
みんなそうだと思います。
もちろん私も… だから、それで、いいのだと思います。
(人が出来ることって知れてます)
天才バカボンの歌詞でもあります。^m^
by 元気 (2009-09-25 22:42)
元気様。
>苦しめているのは、
過去の記憶よりも、許すことが出来ない自分の心
まさしくその通りです。
自分で自分の心を痛めつけてるのにその原因を父にばかり求めていたんです。
だから父がいることで自分が苦しんでいると思ってました。
違うんですよね。
自分の心の中の葛藤や鬱積を何でもかんでも父のせいにして楽になりたかっただけです。
嫌いなものは嫌い。
そんな感情を持つ自分がなんだかすっごく嫌な奴のようで認めたくなかったんでしょう。
父のわがままやさびしがりや、甘えたなことも今に始まったことじゃないのに。
今日は時間はずれてますが。朝、昼とちゃんと食べられています。
夕飯はいつもちゃんと食べられるので問題なし。
心の安定と健康はこんなにも直結してるんですもんね。
まずは自分の感情を受け入れることから少しずつ…。
by izunosuke (2009-09-26 14:40)